あるオフィスでの会話。
A:「何だか頭がボーっとしてスッキリしないよ」ここ数年、「脳」について書かれた本がたくさん出ていますが、多かれ少なかれ脳を活性化するためにはまず睡眠の必要性が書かれています。しかし、早く寝て出来るだけ疲れを癒そうと意図的に思うときは、本当に体調がすぐれない時ぐらいにしか実行できないような気がします。
B:「寝てないんじゃない?」
A:「仕事がたくさんあり過ぎて、昨日もタクシー帰り」
「こんなに仕事があると何から手を付けたらいいかわからない」
B:「何か手伝おうか?」
A:「手伝ってもらいたいけど、教えるのに時間がかるからいいよ」
B:「じゃ、また出来ることあったら言って」
A:「ありがとう、(欠伸しながら)ふぁ〜あ〜」
栄養ドリンクを飲んで
A:「これ飲むと一瞬頭がすっきりするんだなぁ」
B:「ところで昨日も飲みに行ったの?」
A:「付き合いでね。でも戻ってきてちゃんと出来るだけ仕事やったよ」
A:「最近は本当ジムも行けてないし、何かその、メタボになりつつある」
B:「そればっかりは手伝えないなぁ」
それどころか、目の前にあるたくさんの仕事を片付けるためや、付き合いを優先することを優先するばかりに睡眠時間を割いている人がほとんどです。正直自分もそうでした。いま考えてみると、そのころは時間の「使い方」と「その目的」を考えたことがなかったからです。時間はいくらだってあるとそんなことを思ってました。
『時は金なり』といいますが、時間の使い方とお金の使い方も似ているかもしれません。例えば、親から小遣いとしてもらったお金と、社会人になってから自分で得たお金、もう一つは家庭が出来て家族を養う必要がある場合に得たお金の「使い方」や「その使う目的」は明らかに違います。
これと同じことが言えるかもしれません。独身だから少々徹夜残業が増えても構わない。若いから無理ができる、徹夜してるから人よりも働いていると思う。特に病気もしてないから健康は気にしなくてもいい。ほぼ毎日飲みにいってるから何だか飲まないと気がすまない。仕事は自分でやった方が責任感があるように見られる。周りから、「あいつはよく仕事してる」と思ってもらえる。などなど、ある意味、自ら理由を作って、自分の悪習慣を都合のよい解釈/満足/完結しているケースが多いのかと思うのです。
元マクドナルド社員で食品コンサルタントのジーン中園氏が、時間について面白いたとえをしています。
電動鉛筆削り器に鉛筆をいれて、手ゆるめずにいると、中に張った鉛筆は、その力に押されてどんどんと削られれて、最後にはなくなってしまう。
(中略)
これは鉛筆の例だが、日々過ごす時間も同じことが言える。有限の長さの時間というものを、知らないうちにムダに削っていることにたとえられる。
これは、どうしてもやらなければならない、不可欠なことである。ところが、何も考えずに非生産的なことをやっていたとしたら、鉛筆をどんどんと削っている行動と大差ない。あなたの人生は、時間によって成立している。
もし時間というものがなければ、あなたの人生はない。
上の会話で、頭がボーっとしているのは明らかに寝不足で、その理由には、付き合い、仕事の抱え込み、エンドレスな残業、そして運動不足という悪循環な話しになっています。しかし、すべての原因は、時間の使い方とその目的、そして同じように生活習慣と仕事のやり方などを変えようとしていないところにあると思うのです。
人生一回きり、限られた時間、上手に使って脳内スッキリするためにも、時間に流される習慣を断ち切って時間をコントロールする習慣とテクニックを身につけたいものです。
今日の一冊は
「時間ビンボー」を脱出して、年収を10倍にする方法―タイム・イズ・マネーの錬金術
そして、今日の曲は
Ahmad Jamal Trio - Darn That Dream 1959でした。